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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

【質問箱22-4】不登校ASD女子と高IQ二次障害予防講座


前回はこちら!
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二次障害の防ぎ方「受け取り方調整」

よく二次障害がやばい云々言いますよね。うちにご相談下さる低年齢ケースでも
「とにもかくにも二次障害を防ぎたい」
というニーズは根強いです。

そもそも二次障害ってなんなんですか?
不登校の時点で二次障害ということもできますが、おばちゃんトークのご利用者さんたちみたいに、不登校の間を有効利用して、足りないスキルを補えるようになった場合は?
二次障害ではなくなったということ?二次障害は起こしたけどそこから学んだということなら、アンチ二次障害の親御さんはこの展開も避けたいの?

二次障害は絶対に避けるべきだ!二次障害絶対許すまじ!!!!!と考えるのは危うい。おばちゃんはそう思ってます。

感受性の強い子を傷つけたくない、不快な経験をさせたくないという親心は尊いっすよ。けど、
「でもまぁ、傷つき体験や二次障害からしか学べないこともあるらしいしな」
ぐらいの考えをお子さんと共有しておいても、バチは当たらないと思うよ。ありえない未来ではないから、バランスとっておいたほうが無難だよ。
*1


心がボロボロになった経験や、無気力になった経験を持つ、
大人たちも。
専門家も。
子どもたちも。
ポジショントークをします。今自分が満たされないのは、苦手な書き取り、苦手な運動などを強制的にやらされたせいだとか、学校に行かされたせいだとか、大人に怒鳴られたからだとか。

確かに、やらせなきゃと大人が思うタイミングや、やらなきゃいけないと本人が感じるタイミングと、レディネスが整うタイミング(実行機能が実装されるタイミング)が大きくズレている。この界隈、そんなことがてんこもり。やらされる方も、やらせる方も、深刻な無力感にさいなまれます。一生やらないぞ、という強い覚悟すら招きます。
それじゃ二次障害までカウントダウンだよ、魚に空を飛べという系の教育は、おばちゃんも全力で止める。

でも、二次障害になるかどうかは、かけられた負荷の大きさとは関係たぶんないです。
おばちゃん観測では、包丁ライター根性焼きありの虐待だろうが、お子さんが結果を気に入っていればそんなに恨まないし二次障害らしきものもない(ていうか、トラウマケアで簡単に癒せる)と思います。

お子さん本人が、負荷の結果に満足してる(感謝してる)かどうか、ここが肝なの。専門家が思うより、心はシビアだと思ったほうが無難。


ある子が抱える問題について考える時、親や先生、まわりが何をしたかについつい目が行くのはひとの性。ですが、それはまったく本質ではないです。飽くまでも結果論。

そして結果の満足度はお子さん側の受け取り方に尽きるのよ。*2


神支援神教育を受けたスーパー天才おぼっちゃまが二次障害、恨み辛み満載で大うつ病性障害から自死することもあれば、機能不全家庭育ちでいじめられて日雇いで激務してるけど今は自由で幸せです虐待親ありがとう、ってこともあるのよ。こういうネタは、ニーズがなくて、表には出ないけどさ。

二次障害と幸福度の低さは、強い疑似相関を見せるんだけど、根本にあるのはまわりが何をさせたとかどんな仕打ちをしたかではないの。
「受け取り方」
に尽きるのよ、くどいけどマジ。


根がASDの子が、真っ当な親御さんのもと育ってしまうと、受け取り方も固まりやすくなるようです。
のちのち不具合が出てきます。

嫌なこともやらないとだめとか、せめて人並みにとか、せめて平均とか、人に迷惑かけちゃいけない、という管理者都合の何気ない言葉さえ、原理原則、絶対ルールとして受け取ってしまいます。

そのときは実行機能が伴わないので、行動変容には至りません。
しかしやがてお子さんの中で信念飛び越して執念、執着となり、捨てきれなくなる日が来ます。

実行機能の伴わない綺麗事は、遅効性の毒のように心を蝕みます(かといって綺麗事から完全に距離を置かせて野放しにしていいとは言ってないぞ。しっかり叱られて不快な経験をしてこそ、その後言動を選ぶ技術が身についたら生きやすくなった!!!!!!と幸せを日々かみしめることができるってもんよ、知らんけど)。

遅効性の毒によるメンタル悪化を防ぐには、個々の見立てが不可欠です。

温室で育てるべきときに崖を登らせたり、崖で鍛えるべきとき温室で育てたりするのは、労力がもったいないから相談してくれ、頼む。


・負荷と成果をコントロールしながら、レベルアップをはかる
・ゴールポストが動いてしまう問題に言及する

地味ですが、このような負荷の匙加減や、大人特有の無自覚な「ゴールポスト移動問題」をはじめとする「前と言ってること違う問題」などに関して、パブリックコメントを受け付けましょう。大人たちだけで話を進めるのはフェアじゃないよ。お子さんのことなんだから。


お子さんの言うなりになれなんて全然言ってないです。
ただどういう経緯でゴールが動くのか、複数の命令を同時に入力するアホ*3が司令官ヅラしてるのか、腹落ちしてもらうことに労力を使うようにして。

必要性が分からない限り、話なんて聞いてくれないからさ。


負荷をコントロールと書きましたが、やみくもに簡単な課題にしろとか、難しいものにしろとかいうわけではないです。

その子に必要なのは今何なのか、この負荷はいつどの形で価値が出るのか、見極めないと、負荷のかけ損です。

お勉強

高知能のASDにとって、全問正解が当たり前の簡単な課題をやらせるのは、難問やらせるより高難度というのは結構よくある話だね。

おばちゃんなら、その子が弱っているときは難問で癒し、調子が出てきたらミスの許されない系の処理課題を手当てするって見通しをお子さんと共有しつつ、私の気分で変わるかも、ごめん!でも悪いようにはしないつもりやで、って予告するかな。


・課題を分解し、苦手✕苦手の組み合わせを避けて減感作する(たとえば苦手な学校という環境で、苦手な曖昧さ適応をいきなり行うのは悪手。楽しい環境に苦手なことを盛り込むことで、刺激をコントロールすると、真正面から強行突破させなくても、乗り越える嬉しさと必要性を体感することができます)

・全く関係なさそうなところからアプローチする
(たとえば肩こり改善のために足のマッサージをしたり、遠くを見たりするぐらい、一見関係なさそうなところをほぐして、来たるべきときに備えます)

・負荷を加えると同時に、癒やす・笑わせる

苦手の構成要素を分け、それぞれ別件として改善を目論むこと。不快感を快感でマスクして、苦手意識を和らげていくこと。

地味な作業ですが、苦手なことを苦手な環境で苦手な先生やクラスメイトの評価を得るために、やりたくもないことをする、というのはあまりにもハードルが高い。不快という要素しかない。そういうときは、本当に個人差があるけど、ユーモアや意外性を必要とする子もいるし、全く別ルート(たとえば算数のミスを減らさねばならぬ子に算数を禁止して、茶道や靴そろえをやらせる、とかね)

種明かしして、戦略を共有

勉強についても受け取り方調整についても、こちらの意図明かしが必要です。また、苦手意識を彫り込まないためにも、
「今すぐにできるようになるとは思うな、むしろ今すぐできたらヤバいっしょwww」
ぐらいの軽いニュアンスで、長期的戦略であることを常に共有しましょう。
 
すぐに結果がほしい子たちは、頑張りがすぐに結果に反映されないと不快感や無力感を抱き傷付きます。ですから最初から、すぐに反映されるよーなことではない、こちらも手探りであり不手際もあろうがどうかお付き合い願いたい、あるいは、保険みたいなもので実を結ぶとは限らないかもしれない、と正直に知らせましょう。


「無理すんな 訳:苦手意識の少ないフレッシュな気持ちで実行機能が実装される日に備えるぞ」
「ゆっくりでいい 訳:行きつ戻りつでいい、20年後に今よりだいぶましになっているというぐらいで大きなシステム作りには時間がかかるらしい」
みたいにマインドセットを促しつつ、親御さんご自身も大局的なものの見方を修業中の身だと暴露しましょう。

このようなスタンスで取り組んだ苦手対策は、万一うまくいかなくても親の無力さを知るという経験にできますよね。
これは、ASDのお子さんの心を育てる大切なきっかけとなり、得るものがあるようで、
「あんなに頑張ったのに結局だめだった」
とはなりにくいのです。
再チャレンジするための心のエネルギーが温存されるっぽいのです。


ここで大事なのは、何をさせたか以上に、やりたくないことを頑張って疲れたなぁ無駄だったなぁという感情データを、やる意味なくもなかった、あとから見たら役に立ってるわ、という論理データで置き換えさせることと、それを何度も想起させることだと思います。もちろん納得感がなければデータの置き換えはできないから、その子の納得感はどうやって作られるのかの見極めやアプローチの工夫は要る。
*4


人間、やりたいことしかやらないと、どうなると思いますか?私利私欲を満たすためだけの日々を過ごすなんて、楽しそうですね、短期的にはね。

しかし、規範意識が高い高IQの場合、やがて心の闇を深めていきます。彼らは、一般に言われているよりも所属欲求や養育欲求、役割を果たしたいという欲求が強い傾向をおばちゃんは観測してます。根拠はない。

人の役に立てなかった高IQ遺伝子持ちは、子孫を残さずひっそりと人生を閉じがちです。まるで不要になった細胞がアポトーシスするかのように、なんて言ったら個人主義の時代に逆行するようですが、なんだかんだ人間は群れとその辺縁の技術・勇気の提供者(発達障害者)で成り立っていて、人の役に立つことは、人の心を健全に保つのにとても有効です。

おばちゃんは、ごく身近な他者の幸福度を高めることを、人の役に立つことの原型として設定しています。そう、遠くの人の幸福は横置きしときましょう。
まわりの幸福度を高めるとは、言うなりになれということではないです。勝ち負けや経済的成功は他者の利益とトレードオフになることも多いですが、和やかな場を共有することは誰かの利益や権利を奪うこともありません。

思考力や記憶力、声真似力を駆使して、人を傷つけないユーモアを提供するように特訓するのもよいでしょう(方法はその子の得意に合わせておばちゃんも考えます。こういった子は、親しい人からユーモアを仕込まれるとすごい勢いで学習することもあり、今はカタブツでもユーモア達人となるポテンシャル高いです)。
自分のユーモアが通じたら、それはお互いにとって幸せですよね。こうして共に過ごせることに感謝できるよう、気付かせていきます。

感謝する人もされる人も尊いよ!

感謝されるときは人の役に立っている、感謝しているときは借りを作っている、と思いこんでいませんか?違います。

善人たちは、感謝されることが大好きです。感謝されることは、善性を持つ人たちの心の栄養になります。
つまり、感謝する行為は、善人たちに心に幸福感を与える重要な行為。心の栄養を提供するサイドと言えなくもないわけです。

もちろん真心搾取まで行くとさすがに濫用ですから、感謝も万能ではないです。人間関係の潤滑油としてうまく使ってほしいのです。感謝の何がいいって、死の淵まで使えます。不毛な仕事をするにも、そこに感謝があれば、不毛だなぁという気持ちが起きなくなるほど。
感謝することには、ものすごく大きな価値創造の力があります。
すぐにはできないと思いますが、ぜひ頭の片隅に入れておきましょう。

ちなみに身もふたもない話ですが、感謝にも格はあります。
「受け取り手がフォローしている分野において価値の高い人」
の感謝はより価値が高いです。

正論ガールには人間関係をのらりくらりやる器用さはデフォルトではついていません。
ですが、その分、本質を見抜く力があり、言葉に重みがあります。
この力を活かして、寡黙なら9聞いて1丁寧な言葉を紡ぐ、多弁なら褒めや感謝、ユーモアを職人技として磨くというのもいいかもしれません。


続きます。
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*1:二次障害って定義もろくにできてないのに語るのなんなんですが、心のジャンルはお気持ち文化と統計的エビデンス文化のカオスだからしょうがない。臨床心理領域と公認心理領域とライトな資格しかないカウンセラーも、精神科領域も、それぞれ内部分裂までして好き勝手に主張して否定しあって…内輪もめしすぎでまじめんどくさいんだよ。ぶっちゃけ、厳密に考えないようにした方がいいよ、他人のけんかに巻き込まれている暇はないはずだ

*2:あの友田明美先生のお気持ち論文いまだにまるごと信じてるパンプキンはいないよね???虐待で脳が委縮ってやつね。撤回されたものはもちろん、そうでないものも、科学的な論文と言えるんかいな。 www.sankei.com

*3:たとえば 「みんなちゃんとやってるんだからやりなさい」 と、ついついみんなを引き合いに出してしまうのに 「みんなスマホ持ってる?みんなは関係ない!」 と言ってしまうことは、親の言葉を無視しろというコードに等しいんだよ。

*4:ちなみに、学習性無力感から脳がブレーキかけちゃってる場合、バグ技を使うと意外にできたりします。バグ技のひとつは、頭ブルブルです。 頭や体をシェイクすると、一旦忙しい思考が止まりやすくなります。その瞬間を使うと、やりたくないことをやろうという気持ちに切り替えていけることがたまーにあります。水嫌いの犬が、シャワーや水没した後ぶるんぶるんしているのは、単に水を切るためでなく、気持ちを切り替えるためだとする説とも一致します(笑)。


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