Jjnl7DtdA3aiyFVnkj0VWghMprCEHvMQ_8rxgZx-tGY

もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

会話は言葉のキャッチボールなんかでは全然ない

「会話は言葉のキャッチボール」という比喩表現があります。

☆言葉のキャッチボールとかありえなくね?

園や小学校にかぎらず、療育の現場でもしばしば聞かれます。ほとんどの人が納得して使っているようです。

うちの子はおしゃべりは好きなのですが、言葉のキャッチボールができないんです、という声もよく聞きます。


ちょっと考えてみてください。


キャッチボールって何ですか。

☆キャッチボールと会話、似てるところと違うところ

キャッチボール=やりとりするボールが、そのままの形、性質を保ったまま両者の手元を正確に行き来する
…というイメージがあれば、
「会話はキャッチボール」
という例え話は通じません。


言葉は、往路と復路で、変化します。
その変化を、自分側だけで完全にコントロールすることはできません。
一方、ボールはどうでしょうか。往路、復路で、形状は変わらないと言ってよいでしょう。

そう、ボールと、言葉は、違うんです。


会話と、キャッチボール。確かに、似た性質を見いだすことはできます。

球技経験者でも心理のプロでも、完全に狙い通りにやりとりすることは難しいですよね。

球威、コース、言葉や話し方はコントロールできて、ベストだと思うところに投げたとしても、相手がこちらの思い通りにキャッチしてくれるとは限りません。

受け手次第です。

片方だけが気遣っても、受け手がダメなときはどーやってもダメ。

そうなんです、キャッチボールと会話、近い性質もあります。



でも、「言葉はキャッチボール♥」という定型文を発する人は、無自覚に、発信時の気遣いだけを、無闇に強調しています。

ピッチングにフォーカスしすぎなのです。


会話はキャッチボール、と説明する人間で、
・キャッチャーの心構え
・「受け取り方も大切」という話
・「キャッチボールの相手してもらえることへの感謝」
このへんまで盛り込んでいる人は、激レアなんじゃないかと思います。


☆思いを言葉に、言葉を思いにする、そのたびに変化してしまう面倒くささ

ボールはほぼそのままの形で往復します。しかし、言葉と、言葉に込められた思いは、複雑怪奇に入り乱れます。

どれぐらい複雑かというと、
『Aさんの思い→Aさんの言葉(言語化)→Bさんの思い(受け取り方)→Bさんの返事(言語化)→返事を受けた新たなAさんの思い(受け取り方)』
これぐらい複雑です。

Aさんの思いを基準とします。
そもそもAさんの思いを言葉にする時点でズレる可能性すらあります。しかしここまでは自分サイドの課題で、ある程度なんとかなる部分でもあります。

そのAさんの言葉は、Bさんが受けとるとき、意味が大きく変化し得ます。

また、それに対してBさんが返答するわけです。
ところが、言いたいこと思ったことそのまま言わないのが社会のマナー。ここでもまた大きく変化します。Bさんは、オブラートに包んだり、逆のことを言ったりしてしまうのです。

…もう、何がなんだかわからなくなりましたね。


そうなのです
「会話は言葉のキャッチボール」
というよくあるたとえは、
「ボールのコントロールが出来ないけれども、お互いに配慮し謙虚に努力する人同士の投球の営み」である、という美しい前提からできています。

実際の会話は、違います。

上述したような、オブラートやら、傷付けないための配慮(すごく多目に見積もらないといけない)という名の嘘やらお世辞やらを身に付けないと、こなせません。

「会話は言葉のキャッチボール」
そもそも、言葉Aと言葉Bのキャッチボールなのか、人と人が言葉をかけあうイメージなのか、そこも不明瞭です。

この定型文、きつい言葉をつかう子(火の玉ストレートなピッチャー)とその周囲(キャッチャー含む)は四六時中聞かされます。
そして、一部の子に会話の本質を誤解して思い込ませてしまう原因となります。

☆言葉のマナーとキャッチボールのマナー

「会話は言葉のキャッチボール」
という表現を納得してもらうためには、まず、ここで言うキャッチボールは、不完全なものであることを踏まえ、キャッチボールのマナーから話さなければなりません。

・ピッチング時は、相手に負担を与えずに受け止められる球速、軌道でしか、投げてはいけない。

・ピッチング側は、キャッチ側が負担なく受け止められるボールを投げることに失敗したら、すぐ謝る。


キャッチ側がボールをキャッチできなかったら

・ピッチャー側は、ボールの投げ方が悪かったのだと認識し、投げた方がすぐ謝る。

・ボールを落としたキャッチャー方も、キャッチする能力や努力が不足したことを認め、すぐ謝る。

・お互いにキャッチボールに習熟しており、相手側が強い球威を望んでいるならば、全力投球が許されることがある。 ただし、それでもキャッチ側にとって取りやすいところに投げるのがマナー。
取りにくいところに投げられたとき、キャッチャー側はピッチャーを責めないで、走ってボールを拾いに行くことも楽しむ


キャッチボールについて、ここまでの前提理解があって、やっと「会話は言葉のキャッチボールである」という例え話ができる可能性が出てきます。


言葉は ボールと違い、返事として変化して帰ってくるので、もしかして発達障害とか、グレーゾーンとか脳デカ族のお子さんにはなかなか分かりにくいたとえのようです。

自分のしているキャッチボールをイメージしてしまうこともあります。
「投げたいように投げる」
「なるべく強く遠く!」
「いいボールを投げたのに、相手が落としたら相手のミス。相手が走って取りに行くのは当たり前」
といった勘違いは、子供にはよくあることです。
「会話はキャッチボール」
と言うからには、キャッチボールと会話のどこに焦点を当ててたとえている知らせる必要があります。
そこがわからないままだと、不適応につながる思い込みを強めてしまうとさえ思います。

☆キャッチボールよりプレゼント交換に近い

キャッチボールよりもプレゼント交換だと表現した方が分かりやすい、と言う発達支援の専門家や療育員支援員もいます。
しかし、そもそも文化によってプレゼント交換の嗜好も異なっていることをお忘れなく。

確かに定型とか典型発達と呼ばれるマジョリティであれば、その理屈も通るかもしれません。
典型発達は、言葉でラッピングした空のプレゼントボックス(空気)を贈り合うことで、敵意がないことを示したり、喜びを感じたりしています。

多様発達(いわゆる発達障害傾向)のある方々のうち、自閉傾向があるフェイズでは、しばしば、コンビニ袋で実用品を贈ることを好みます。

言葉や綺麗事にラッピングされた箱の「やりとり」に配慮や善意を感じ合う文化と、
実用性やコスパ、有益な情報等「コンテンツ」に価値を強く感じる文化。
ここ、かなーり違うんです。

異なる価値観。ぶつけ合うからもめるんです。
地政学的にトルコみたいな事情ですかね。そりゃゴタゴタするわな。


そんなとき
「こっちの文化に従え!!!!」
と罵り合うのは、幸せから永遠に遠ざかる行為です。

相手の文化を教わりましょう!
許せる範囲が広がるように、世界を広げていきましょう!


定型(感情原理主義)は、実用性や返礼ストレスを考慮した金券を贈る代わりに、丁重にラッピングした感謝の言葉や、
「自分の好きなもの」
を贈るのです。

相手の気持ちを考えすぎるようになると、コミュニケーションに疲れたり、及び腰になったりしてしまいます。

「相手の気持ちを考える」
これ1つとっても、メタ認知能力がついてきたときまで記憶が残ってしまうと、相手のこと考え過ぎる自滅キャラにつながる、時限爆弾のような声掛けです。


自閉スペクトラムが、ほしくないプレゼントもらったら?
過程(プレゼントしたいという気持ちと行動)に注目させましょう。過程への感謝と、気持ちのラッピングを学ぶようにしましょう。

もちろん、すぐにできるようにはならないです。

すぐには腹落ちするはずがないこと、文化が違うこと。このことは親子で共有するとよいと思います。


発達障害・グレーゾーンランキング にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(サピックス)へ
にほんブログ村