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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

綺麗事という名の嘘八百

いわゆる社会性不足=多数派に対する迎合力、真理横置き力、感情優先主義社会への適応力の不足

いわゆる社会性(多数派に対する迎合力)がなくつらい、という方。
または、それのない人が身近にいて憤慨している方。
いらっしゃいましたらご覧ください。


社会通念上
「人の気持ちがわからない」
「社会性がない」
「コミュニケーション能力がない」
「社会性凹」
と言いますが、私はこのような状態のことを
【感情優先主義社会への適応性凹】と考えています。


こういった方に、平等だとか、差別がない社会だとか、綺麗事を信じさせては、苦しみを深めるだけです。
…科学的根拠はないですけれど。


彼らは(かつての私もです)、思考を完成させるのが早すぎるか、遅すぎるかのため、思考の微調整の機会をあまり持っていません。

ピュアな心はピュアなまま、毒々しい心は毒々しいまま、禍々しい心は禍々しいまま、思春期を迎えます。

ピュアは悲劇

一番の悲劇は、綺麗事をまるごと信じたまま思春期を迎えてしまうことです。


いわゆるフツーでしたら、他者の欺瞞に出くわしていくうちに
「なんだかおかしいな、美しくないぞ?………ああ、これが本音と建前というものか」
等と気付いて試行錯誤するか、あるいはそもそも深く考えずに本能の赴くまま、水面で漂う笹舟のかんじで生きられます。

しかし、いわゆる社会性凹の人たちは、閉じているおかげで、幼き頃に一度授けられたファンタジーの世界、綺麗な理想世界をずっと信じ続けることができてしまうのです。


「ぶつかり合って」
つまり綺麗でない世界との軋轢を経て、試行錯誤して、本音と建前の存在を見出だすのが社会性発達の理想です。

しかし、社会性凹の子は、社会性凸集団に入ったままですと、綺麗な世界を荒くれ者に侵略されるかのような気持ちになり、自分から避けます(よっぽど鈍感な時期は別)。

特にティーンエイジの間まで、この綺麗な世界を持ち越してしまうと、かなりの確率で
「侵略からの忌避行動」
を選択します。

侵略からの忌避行動が適度であればよいのですが、その年頃まで綺麗な世界で暮らしていた純な子にとって、それは世界の破滅同然のショックです。
忌避行動が深刻化、長期化します。*1


社会性がなさすぎて純粋すぎるティーンエイジャーが深く苦しむ理由はたくさんあります。
上記のような
「信じ、作り上げてきた綺麗な世界の終焉」
を受け入れられないためというのもひとつでしょう。

また、
・自分で適切な忌避行動を選択できない
・親のアドバイスに反発する
・負の感情を分かち合うような友達関係を持たない
などの個性も、彼らを苦しみの中に閉じ込める原因となりえます。


では、親は具体的にどうすべきなのでしょうか。

お子さんたちに役立つ考え方の刷り込みは、しばしば
「洗脳だ」
「支配的だ」
と批判されるような類いの教育ですが、彼らの後継者たちが順調に育つ姿は、それらの批判すら綺麗事に過ぎないということの証拠だと思います。


実際に、ある子は、ゲームに例えての説明をしてくれました。
「クリボーもノコノコもスライムも敵だけど、敵も点や経験値をくれて、それによってこっちは成長するのだから、考えたら敵さんありがとうと言うべきかもしれない」

私からは、
「人生はレベル上げに似ている。宿屋だけではレベル上がらない、ダンジョンだけでもレベルは上がらなくなる説」
という考え方を伝えました。


「社会には、敵もゲリラも味方も村人もいる。味方だけでなく、敵や村人もうまく使いこなすと、より高みに行けるっぽい」


「うまく使いこなすとは、価値観の違いをたくさん見つけて、認め、自分の価値観との間の落としどころを探すこと、かも」
 

このようなインプットを行いながら、実際に経験をさせ、インプット内容の定着を意識させます。
すると心が楽になり拗れにくくなります。


敵と味方という言葉は百ゼロ思考を強めることもあるので気を付けなくてはなりません。しかし、
「成長は嬉しいな」
「悪役、敵含め、いろんな存在がいてくれるおかげで成長するんだなー」
という視点で新しい人間関係の中に入った子どもたちは、
「みんなお友達」
「友達100人出来るかな」
と信じている場合よりもずっと楽に暮らせるはずです。


このような陽転思考の習慣は、拗らせティーンになってから親がプログラムしようとしてもなかなか入りません。
拗らせてしまったティーンエイジャーに陽転思考の習慣をプログラムできるとすれば、親友と恋愛対象と崇拝対象でしょうね。
(…と言うより、親のアドバイスが入らない思春期っ子を拗らせティーンと呼んでいるわけですが。)


酸いも甘いもそれなりに噛み分けられるようになるのを待つことばかりがいいとは限らないのが発達凸凹育て。

ティーンどころか、小さいうちから綺麗事の裏話を噛み砕いて教えてあげる必要があります。

必要悪という概念の導入

発達障害児の場合、本人の年齢がティーンとなるときには、同級生の精神面はだいぶ先。差がついてしまっています。

距離を置かれるなどして
「ぶつかり合いながら人間関係を学ぶ機会」
がほぼ皆無になっているか、または下衆な笑いの材料や、共通の敵として扱われることすらあります。


ティーンになる前までに、根気よく 
「嫌な体験も嬉しい体験も、どちらも大切な経験値。すぐに役立つとは限らないけど使いようがあるかも」
「嫌な体験だけでも、楽しい経験だけでも足りないかも」
など、本人のわかる実例を踏まえてプログラムしてあげるのが良いと私は思います。

例外

もしも彼らを綺麗事の中だけで育ててあげられるのであれば、どす黒いリアルな世界観を教える必要はありません。

また、定型発達に近いお子さんであれば、リアル人生とファンタジー、本音と建前、人生経験を積むに従って自ら掴んでいきます。


適切な環境にいる子達、社会性が高く育てやすい子達には、余計なことを吹き込む必要はないと思います。

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*1:つまり人のいるところに行きたがらなくなります。


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