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もしかして発達グレー研究所~凸凹ハートの幸せを考えるブログ by QOLT

なじめない、生きにくい。そんな子達の青い鳥ドコー?志村!後ろ後ろ!

正義があると憎しみが消えない。兄弟喧嘩を考える

 

こんにちは、ただのおばちゃんです。

 

変わった子を、変わってるなりに

育てにくい子を育てにくい子なりに

愛されキャラに近づけていく関わり方を

日々研究しています。

 

 

 

掲載のお許しいただきましたのでケーススタディと参りましょう

 

 

仲の悪い兄弟姉妹

 

ご相談と提案

「きょうだいの仲が悪い。

第一子、小学校高学年、家でも学校でもボケッとしていて、指示が通りにくい。忘れ物が多い。

第二子、小学校低学年。上を見て育っているせいか、空気を読む、なにかと器用、なにかと上よりは有能。ぼけっとした第一子に、そんなんじゃだめだよ!などと言ってしまうのでよく喧嘩になる」

 

血を分けたきょうだいの人間関係、もちろん一筋縄では行かないのは

大前提としてですが

 

当研究所が提案したい手法に
「親はジャッジメントをしないでみる」

というものがあります。
 
ケンカの時など、人間関係のトラブルには白黒つけるジャッジメントが付き物ですね

ですが、judgmentは誤学習の宝庫です

 

なぜなら、世の中は善と悪(白と黒)でできているものではないからです。

それなのに無理矢理白黒つけると、発達凸凹の子のもともと持ちやすい100 0 思考(ひゃくぜろしこう、2進法的思考とも)に拍車をかけることになります。

 

親の審判は公平ではない

「きょうだいげんかでいつもやられっぱなしの側がかわいそうで…」

という親御さんの気持ちは無理からぬことです。

(お子さんが複数いるとき、この子には共感しやすく、あの子には理解しにくい、という印象を持つのはありがちなことです)

 

しかし

家庭は小さな集団です。

集団のなかで

強者が弱者に対して一方的に

処罰したり、価値を与えたり、

権利を奪ったりすることは

危険な側面がある、と認識した方がよいのではないかと考えています

 

この手法では、

片方がルールを破ったとしても、裁判はしません。

 

ルールを破った者が処罰され、違反行為を密告した者が溜飲を下げる、これはよくある光景ですが、憎悪と百ゼロ思考と過剰適応とどす黒い優越感しか生まないので避けます。


敢えて、どちらが悪い、謝りなさい、等の裁判ごっこは避けるのです。


 

法治国家において、

法律のプロ集団が何年も費やして議論しても、ルールの解釈について

平行線をたどることがあります。

 

まして

兄弟喧嘩の場合、審判する側も、審判のもととなるルールも、いいかげんです。

素人が行き当たりばったりに運用しているルールの解釈ですから、感情によるズレが生じてこじれることばかりです。

 

大人が子どもに権力を振りかざし行う裁判ごっこは、もしかして発達、なお子さんにとっては、親不信、きょうだい児不信、ひいては社会不信につながります。

 

・お父さんお母さんが絶対正義

・より強い立場によって「かわいそう」「勝ち」「正しい」と認められた子が、勝者である

という考え方は危険です。

お子さんの無意識の中でこれが当たり前になってしまうと、兄弟姉妹の関係は必ずこじれていきます。

 


また、対外的にも問題が派生します。家庭内で正義を主張しても認められにくい子は、学校等において「自分の正義を認めさせたい」とこだわってしまいます。

これにより嫌われやすくなり、孤独を深め続けてしまう可能性が高くなるのです。

 

学校集団はじめ、社会は、裁判ごっこだらけです。

だからこそ「勝ち」にこだわらせてはいけません。勝ちにこだわればこだわるほど、生きづらくなります。

 

親にできること

家庭の親御さんにできることは、何でしょうか。

・生まれた順によって罰則を変えないこと

・「お兄ちゃんなのに、お姉ちゃんなのに」「弟の癖に、妹の癖に」は言わないと決めているんだ、もし言ってしまったらたしなめてほしいと、平時から常々断言する。

・その代わり、「我が家の○歳○か月に求められるモラル」によって賞罰を行う手法をとる(同年齢においては同基準によって賞罰する原則)

・お子さんたちをそれぞれの想像の外に連れ出し、個別にべろっべろに可愛がる時間をとる

・きょうだいが甘やかされることは、すぐに必ず自分が甘やかされる番が来る予兆でありむしろラッキーの予感、とリアルに体感させ続ける

・兄弟喧嘩のジャッジメントを避ける。強い者から弱い者への暴力は、弱者過剰保護等による不公平感、嫉妬から来ていることが多い。第二子の赤ちゃん時代は軽くネグレクトぐらいでちょうどよい。

兄姉に暴力を振るう弟妹は、弱者保護の社会原則を逆手に取るずるさがある。繊細ヤクザ化したり、被害妄想が強くなって万人から嫌われるケースが多いので慎重に。

 


親がなぜ審判を控えたいと思っているのかという考えを、お子さんが小さい頃から丁寧に伝えてみていただけたらと思います。 

 

喧嘩が起きるから審判が必要になる、というのも一理あります。

一方で、審判しなければ減らせるケンカも、ものすごくたくさんあるのです。

 

いくつかのおうちで、

「どんなに正しくてもどちらの味方も審判もしないように心がけようと思う。誰かを屈服させて満足する心よりも、もめごと回避上手になったほうがお得、という経験をさせたい。協力してほしい」ということを刷り込んでいただくという手法を実践していただきました。

やらかさない子が、やらかす兄弟を責める、責められた兄弟はムカッとして腹いせ行為を行う、といったシーンが目に見えて減ったそうです。


トラブルの総数が減りますと、親のアドバイスに対して、脳が、しっかり開いてきます。 

 

絶対的な正しさにこだわることの恐ろしさ

憎しみは、正しさにこだわりすぎるがために起こります。

正義と悪、勝ち負けという考え方は、発達障害風味の子にとってとても危険なものです。兄弟姉妹を正義と悪、勝ちと負けに分けるのであれば、なおさらです。 
参考

どっちが先にやったとか、痛くしたのはどっちだとか、もめればもめるほど子どもは混乱します。
親はどちらも叱らない、どちらも慰めない。ただクールダウンを促すべきです。

ここで慰めなど余計な介入を行うと、喧嘩利得と強迫観念が発生してしまいます。
喧嘩すれば、また(私の)正義が認められ優位に立てるかもしれないという利得、あるいは、今度こそ喧嘩で「(私の)正義」を認めさせなければ、という強迫観念です。

喧嘩の時はどちらにも加勢しないほうが無難です。 
平時にこそ、とことん愛情を伝えるようにします。
 
 

審判をしない関わり方のコツ

 
審判をしない関わり方は、完璧に行うよりも適当に行う方が良いかもしれません。
 
喧嘩でないときを選び、たまに審判をしてみるのです。ジャッジメントの意図、普段はジャッジメントを控えている理由がきちんと伝わるようにした方がよいと思います。
 
夫婦喧嘩でも、ワタシノ正義とオレノ正義のぶつかり合いは、しばしば深い傷か憎しみをもたらすものです。

変わった子だけれども愛されキャラになってほしいと思うとき、
「大切な人を不愉快にさせないことは、自分の思う正義よりも大事かもしれないよ」という視点があってもよいと思います。
 
もちろん、適切な自己主張はしてほしいのですよ。
でも、喧嘩でカッとなった状態ではろくな主張はできませんよね。
仮に練習としても、効率が悪すぎます。
 
けんかではない時に、適切な主張、弁論の練習を積ませましょう。
平時の練習で身に付けてから、実戦で生かしたほうがいいです。

 

すべてのご家庭で適用可能だとは思いません。さまざまな選択肢の中から、なるほどと思われるものを試してみてほしいと思います。


きょうだいげんかは承認欲求の賜物だというケースがものすごく多いです。承認欲求のなだめ方もご一考ください。

 

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